ユーザーの声 Vol 1 平松洋子 様
エッセイスト、フードジャーナリスト、アジアを中心に世界を取材し、食文化と暮らしをテーマに執筆活動を行っている。筋金入りの”鉄フライパン愛好家”でもある。
「まっ黒で、武骨で、愛想がない」‥‥かつて私が鉄のフライパンに対して抱いていたイメージだった。いや、じっさいその通りなのだが、何十年も鉄のフライパンと付き合ううち、私にとってそれらの言葉の意味はまるで違うものに変わっていった。「まっ黒」はストレートでシンプルな素材の味わい、「武骨」はデキる豪腕っぷり、「愛想がない」は素朴で実直、というふうに。
シンプル極まりない道具である。一枚の厚い鉄の板を成形して、フライパンのフォルムに仕上げたもの。だからこそ、鉄という素材の特徴ががぜん生きる。鉄はいったん熱を抱くと長く蓄熱するから、当然いったん得た熱を失いにくい。つまり、肉でも野菜でも魚でも、あらかじめ火によくかけて熱を蓄えさせれば、おのずとじっくり火を伝えてくれる。ようするにフライパン自身が親身な熱の伝道者となってくれるのだから、頼りがいはこのうえない。
じっさい、私は朝から晩まで鉄のフライパン頼みである。朝の目玉焼きは、ほかのどんな道具より、白身も黄身もふわっと仕上がる。なにしろ毎月北海道の養鶏場から取り寄せているだいじな卵なのだもの、おいしく味わわなければ、おてんとうさまにも農家にも申しわけが立たない。野菜炒め、これも鉄のフライパン以外には考えられない。コンロにかけて目一杯かんかんに熱くしたところへ、ピーマンでもキャベツでももやしでもいい、いっせいにじゃっと入れて鍋を振る。極限まで熱を蓄えた鉄の肌が一気に熱を与え、まさに最強の使い心地。たちまち水気が飛び、しゃきしゃきの野菜炒めができあがる。炒飯もおなじで、ごはんひとつぶひとつぶに熱がしっかり伝わってふっくら。ほかのフライパンではこうはいかない。
鉄のフライパンを使うたび、「道具がおいしさをつくる」ことを実感するから、「まっ黒で、武骨で、愛想がない奴」を手放せなくなるのだ。
美点をもうひとつ。イチから出直しができるところもすごい。焦げついたり油汚れが堆積したり、たとえ黒岩石のように落ちぶれても、なんの心配もいらない。火にかけて汚れを炭化させて取り除き、から焼きをして再生させる道が残されている。自力でよみがえってくれるのだから、こんなに頼りになる相手もないだろう。
なにやら鉄のフライパンの礼賛に終始してしまったが、ほんとうのことだから仕方がない。タマにキズはないかしら、とアラ探ししてみると、ひとつだけあった。酢とかトマトとか、むきだしの鉄だから酸に弱いことくらい。そういうときだけ、ほかの鍋を使っているが、弱みをようやく見つけた気分になり、ちょっとほっとしたりする。